- 「(小サナ花ハ)きわめて―な、有るか無きかのものである」〈 ・病室の花〉
謙遜とかけまして、坊主の雑巾がけととく
そのこころは
どちらも前に出ないでしょう
謙遜と卑屈の境目は果たしてどこか?
謙虚が行き過ぎると劣等感になってしまう。劣等感がひどくなると、元来当たり前に出来ていたことすら出来なくなってしまう。その極みが鬱なのかもしれない。そういう意味では、自信過剰もよろしくないが、卑下が過剰になることはもっといけない。
この卑屈感というのは、もしかしたら戦後教育の賜物なのではなかろうか?
例えば私の住んでいる広島県。8月6日原爆の平和式典。参加者のスピーチでよく聞かされるフレーズの一つに「私達は二度と同じ過ちをおかしません」というのがある。これってよくよく考えるとおかしいと思いません?
太平洋戦争に関してはともかく、原爆投下に限れば我々広島県民は完全なる被害者だ。別に広島や長崎の市民が率先して戦争をしてるわけでもないのだ。
例えるならば、殺人事件の裁判で被害者の遺族が「私達は二度と同じ過ちを犯しません」なんて答弁するのに等しい違和感がある。
もちろん、第二次世界大戦全般に関して言えば我々日本人も大いに反省すべき点はあるでしょう。二度と愚かな戦争をおかさない努力をする義務もある。
ただし、日本人だけが悪いことをしたわけでもない。そもそも当時アフリカや中東、アジアに戦争を仕掛けて植民地化してきたのは他でもない欧米諸国だ。やってることのタチの悪さで言えば向こうの方がよほど酷いと言っていい。日本だけが悪く言われる謂れはないのだ。二度と同じ過ちをおかしません。は、国連の常任理事国を始めとする先進国こそ言わなければいけないことでしょう。
謙虚は美徳なんて考えも、もしかしたらGHQに押し付けられた考え方かもしれない。謙虚という名の抑圧によって出た歪が、昨今の迷惑ユーチューバーとなって現れているのでは?なんて言ったら妄想が過ぎるかしら