辞書と暮らせば(休業中)

3月前後に復帰予定

色んな意味で語りづらい話題。

 の解説
聖人によって書かれた書物。聖経。聖典
キリスト教聖典旧約聖書新約聖書の総称。バイブル。
 

出典:聖書(せいしょ)の意味 - goo国語辞書

 

聖書とかけまして、お酒を飲める年齢ととく

その心は

どちらもせいじん(聖人・成人)となることでしょう

 

非常にデリケートな話題ゆえ、あらかじめ僕は聖書をまともに通読したことがない。ということだけは言っておきます。

 

それ故、聖書の中身について偉そうに語る気は毛頭ないですし、ましてや解説なんて出来るはずもござりませぬ。

なので、これを読んでくださってる皆様方におかれましては、バカがなんか語ってら。という生温かい目線でご覧いただければ幸いです。というか、キリスト教関係者の方には極力読んでもらいたくないな〜、が本音。

と、保身丸出しの予防線はここまでとして、ここからが本題。

 

昔通っていた大学の教授から、聖書と論語。どちらか片方だけでも読みなさいと、よく言われていたことを思い出す。人生において大事なことは全てそこに書いてあると。それがいち社会人のたしなみだと。

 

まぁ確かに自分は教養がないし、子供達にとって手本となるような立派なオトナだとは言い難い。聖書とまでは言わないまでも、小中学校の道徳教育で教えられた内容をちゃんと実践していれば、ひとカドの立派な社会人になれていたかもしれない。年を取れば取るほど、自制が効かないしわがままになっていく。それを表面上に出さない技術だけが磨かれていき、なんとも小狡いおっさんになったものだと不甲斐ない思いも多少ある。

 

じゃあ幼い頃から聖書を読んできた高い教養の人たちで、果たして尊敬に値する人物はどれだけいるだろう?

 

21世紀はじめに聖戦の名のもとに聖書片手にイラクへ兵を送ったブッシュ大統領。20年近く経った今も、テロリストとの戦争は終結の兆しが見えない。というか寧ろどんどんと泥沼にハマっていくばかりだ。

 

太平洋戦争にしてもそう。広島・長崎原爆は果たして戦争を終わらせるための止む終えない処置だったか、不要な殺戮だったか。現代でも歴史評論家の間で議論が分かれる所だけど、それによって50万人以上の命が失われた事実だけは変わらない。東日本大震災の死者が2万人足らずであることを比較するだけでも、それがどれだけむごいことか。

 

欧米の軍には必ず従軍牧師なる役職のものがついてくる。出兵前に祈りを捧げたり、戦争で傷ついた心をケアする役割を担う。誰だってすすんで人を殺したくはない。だからこそ、兵隊たちのメンタルケアを牧師が行うわけだ。一見立派な仕事をしてるようにも見えるけど、逆に言えば神様の名のもとに殺人を後押しする役割とも言える。

 

繰り返し言うけど、誰だって人は殺したくない。何十万人も死ぬと分っている原子爆弾を落とすとなれば尚更だ。いくら訓練された兵士と言えど、そんな十字架を背負いきれるはずがない。しかしその背中を押すことが牧師の役割とも言える。神様は全て許してくれますよとか何とか言うのでしょう。そんな傲慢で残酷な話がありますか?

 

改めて言うけど、聖書の中身そのものについて批判するつもりは毛頭ない。きちんと読んで一生懸命理解するように努力すれば、人生において大きな指針にもなるかもしれない。

 

しかし聖なるものの衣に隠れて、世間的に後ろめたい事を平気で行える人間を僕は軽蔑する。

比較先がしょぼいけども、ホリエモンと餃子店との騒動の中で、該当の店舗に嫌がらせの電話や脅迫をしかけて店員を精神的に追い詰めるロクでなしと本質的に何も変わらない。どちらも正義という大義名分の下で行ってるから、よりたちが悪い。

 

ここまで書いてきて、果たして教養とはなんぞや?とふと考えてしまう。自分も下衆でろくでもない大人である自覚はあるけども、彼らのような卑怯者だけにはなりたくない。例え上記で俺が批判してきた人物たちと、同じ穴のムジナだったとしても。