美味しい文章の書き方
お‐いし・い【美=味しい】
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1 食べ物の味がよい。美味だ。「うまい」に比べて丁寧・上品な感じが強い。「魚の―・い店」「山の空気が―・い」
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2 自分にとって都合がよい。具合いがよい。好ましい。「そんな―・い話が、あるはずがない」
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[用法]
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美味しいとかけまして、成績不良ととく
そのこころは
どちらもこうきゅう(高級・降級)なことが多いでしょう。
食べ物の味を表現するのってとてもむずかしい。例えばまったりとしてコクがあって云々・・・って文章があるけども。そもそもコクって何?と毎度思ってしまう。味に深みってやつもわかるようでわからない。じゃあ浅い味の代表格って何?インスタント?
ついつい、全部ひっくるめて美味い!でいいだろうって思っちゃうのだけど、それじゃあまりにも味気ない。読書感想文で、”面白かった”の一言で終わっちゃうと先生に怒られてしまうのと同様。
インスタ映えの代表格が食べ物の写真だと思うのだけど。インスタグラムが若者を中心に流行るのって、きっと上記のような煩わしい味の表現をする必要がない所にあるんじゃないかな?歯ごたえがシャキシャキして香ばしく・・・なんて言葉はいらない。写真を見れば一発で美味しそうだと伝わる。その手軽さがうけるのだと勝手に推察する。
食べ物の味に限らないけど、この手の文章表現って日頃から自分で書いてみて、試行錯誤を積み重ねるしかないのだと思う。普段文章を書かない人間に、いきなりこの漫画や小説の面白さを書けって言われたってそりゃ無茶な話。普段ボールに触れない人間にリフティングを要求するのと一緒。
そういう訓練って本来は義務教育でやらせるべきでしょう。
例えば国語の授業で、”学校の木にスズメがとまってる様子を文章で表現してみなさい。”とか”今日の給食の味を自分なりに書いてみなさい。”とか。短文でいいからとにかく子供に書かせてみる。そしてその内容に対してダメ出しをするのではなく、プロの作家はこう書かいてる。夏目漱石や森鴎外はこういう文章で例えている。みたいな解説をして、とにかく文章表現の引き出しを増やすことに専念する。語彙のストックを増やすのだ。
このやり方のほうが、いま現代文の授業でやってる、この作者が言いたいことは云々って作品の解説をするよりも、よっぽど実践的で将来の役に立つと思うんだけどな。自分で文章表現を考えられるようになれたら、結果的に他者の作品の理解も深まる筈だし。
作文嫌いの子供が多いのは、結局”どうやって文章にしたら良いかわからん”のが一番の原因なんだから。
「そんなの自分が思った通りのことをそのまま書けばいい」って言う無責任な大人がいるなら、今そこで食べてるポテトチップスあるいはチョコレート菓子の味を、原稿用紙5枚にして書いてみろってんだ。