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この季節は鍋がうんめ〜

 の解説

世の中の出来事は、すべてあらかじめそうなるように定められていて、人間の力ではそれを変更できないとする考え方。宿命論。

 

出典:運命論(うんめいろん)の意味 - goo国語辞書

 

運命論とかけまして、ゴリラと力比べととく

そのこころは

どちらも人間は無力でしょう

 

僕は典型的な運命論者かもしれない。

 

命を運ぶ。と書いて運命と呼ぶ。命とは何を指すかは議論の余地が多々あるだろうけども。

とりあえず己自身の命と、僕は勝手に定義してる。

 

振り返れば、周囲に流されて色んな場所へ命を勝手に運ばれて。今に至ってる気がする。

 

僕も少年漫画が大好きだったので、努力をすればなんとかなる。運命に立ち向かっていく俺カッチョイイ的なスタンスで挑んだ事もあったけど、結果を見たら惨敗だったかな。天の神様に歯向かえば歯向かうほど事態は悪化していったような気がする。

 

自由とは、自分の思い通りに好き勝手動くことではなく、あらゆる事象に対して抵抗がない状態だ。と、名前は忘れたけどインドの哲学者は言っていた。サイババ的なそんな感じの人が言ってた気がするけども。

 

今になると、それが少しだけ理解できる気がする。自分の思い通りにすることの大前提として。そもそも思考そのものが自由かどうか?という問題にぶち当たる。

 

例えば5分だけ。目を閉じて何も考えないようにチャレンジをしてみる。実際に声を出すのは勿論のこと、心の声も一切出さない。

そう言われて、それが出来る人間はほとんどいないだろう。よほどの瞑想の達人でもない限りは、心のおしゃべりが止まらない。

思考ってやつは自分が思ったほどコントロール出来てない事がそれだけでよく分かるだろう。

コントロール出来るなら、そもそもキレるなんて事象が起こるはずがない。

 

自分の思考すらコントロールできないとしたら、そもそも自分とは何だろう?ハイデッガーさんは、我々は演劇場の役者と一緒。各々の役割を演じさせられてると言っていた。たしか世界演劇論ってやつだったかな?僕たちは見えない何かに動かされているという意見だね。

 

じゃあ舞台監督や脚本は誰?人によっては神様と呼ぶのかも知れないけど、其のへんはまだまだ考察が足りないから、この話はここまでにします。

 

最後にここ最近の体感を語ってみると。運命に抵抗することにエネルギーを使うより、大人しく川の流れのように身を任せるほうが楽だし、上手いこと行くことが多いな。と。あたえられた条件でどうやって人生という名のゲームを遊ぶか。そう考えたほうが幾分か楽しいよ。