辞書と暮らせば(休業中)

3月前後に復帰予定

速さがたりない!

 の解説
  1.  物事の進む速さ。スピード。「一定の速度で歩く」「制限速度」

  1.  単位時間に進んだ距離に方向を合わせたベクトル量。運動する物体の単位時間当たりの位置の変化を表す。単位にはメートル毎秒のほか、ノットが用いられる。

[用法]速度・[用法]速力・[用法]速さ――「速度(速力・速さ)を一定に保つ」など、進む程度を表す語としては相通じて用いられる。◇「速度」は自動車など物体が単位時間内に移動する距離の大小についていうほかに、機械などが単位時間内にする仕事の量の大小についても用いる。「高速道路を一〇〇キロの速度で走る」「この機械は一分間に百部の速度で製本する」◇「速力」は一般に、移動する距離の大小について表す。「この列車は現在時速二二〇キロの速力で走っております」◇「速さ」は最も普通に使われ、移動の距離についても仕事の量についても用いる。「飛ぶような速さで通り過ぎた」
 

出典:速度(そくど)の意味 - goo国語辞書

 

速度とかけまして、うすげととく

そのこころは

どちらもはやさ(速さ・生やさ)ないとでしょう

 

ビジネスの世界が特に顕著だけど、何事もおいてもスピードが求められるようになった。とにかく早ければ早いほど良い。インターネットが世界に普及してから、それが顕著になったような気がする。

例えば投資の世界。株やFXのデイトレードの場合、五分以上前の情報や報道はすべて化石だという。ほんまかどうかは知らないけど、それくらいシビアであることは確か。

 

現代は何に置いても情報が命だ。ある種、正確性よりも速報性が重視されてるフシさえある。そうしてやがて情報に溺れて疲れてしまう。

 

現代はユーチューブを始めとする動画サイト全盛の時代だと思うけど、動画があまりにも多いから、たいてい二倍速でそれを見てしまう癖がついた。

 

その速度に慣れてしまうと、普段のテレビ中継がゆったりとしてイライラしてしまう。

 

テレビでさえそれならば、今や伝統芸能の歌舞伎や能舞台などは、とてもじゃないが見れたものじゃないかもしれない。

 

そう考えると、文化・芸術と速度は相反する関係性なのかもしれない。別に能や歌舞伎を理解してるわけじゃないけども、二倍速以上で視聴して堪能する代物じゃないことは素人の僕でもわかる。なんというか、呼吸とか”間”っていうやつ?そういうのを重要視する日本芸能で倍速は邪道中の邪道なのだろう。

 

もしかしたら速度は人としての感受性を奪うのかもしれない。倍速動画視聴に慣れきって、ゆったりとして演劇をみると苦痛になる私みたいに。

資本主義的にはオーナーが喜ぶだろうね。速度が社畜を育成すると分かるのならば、仕事に豊かな感受性はいらぬ。ただただ上司である私の命令をなんの疑問も持たずに素早くこなす社畜の出来上がりだ。

 

これを読んでる社畜の君はどう思う?