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色んな教育があるもので

 の解説

イタリアの女医・教育家モンテッソリが提唱・実践した教育。感覚運動教育を基礎に、環境構成と教具に工夫をこらした教育法。子供が能力を獲得するのに最適な時期を「敏感期」として重視する。

 

出典:モンテッソリ教育(モンテッソリきょういく)の意味 - goo国語辞書

 

モンテッソリ教育とかけまして、アップル社の製品とく

そのこころは

どちらもごかん(五感・互換)が肝でしょう

 

耳慣れない教育法だという読者も多いでしょう。僕も今初めて知りました。詳細は下記に貼る記事に譲るとして、キーワードは”自己教育力”なるものらしい。要は幼年期の子供の「私が僕が全部やるの〜」とか言って、大人のマネをして自分で何でもやりたがる。あるいは「どうして〇〇は〇〇なの〜?」と大人に何度もしつこく質問する。我々にもそんな時期があったと思うけど、それをモンテッソリ教育では”敏感期”と定義してるもよう。その敏感期特有の好奇心や自発性を尊重して育むのが、この教育の狙いの模様。

  

studystudio.jp

 

記事にもあるようにモンテッソリ教育には100年以上の歴史があり、ビル・ゲイツや将棋の藤井聡太もこの教育を受けてきた模様。そんじょそこらに溢れるトンデモな教育論よりは信頼が置けるものなのかも?

 

ある種、日本の管理教育とは正反対のスタイルと言えるかも知れない。こっちの教育は自立や自主性よりも、学校や先生の言うことがすべて。といった感じ。服装を始めとする規律にうるさいのがその典型だね。それがあって日本人の協調性は育まれ、例えば東日本大震災のような大きな災害が起きたときでも物資の奪い合いなどの暴動も起きず、きちんと列に並んで配給を受けとっている(海外では絶対にありえない光景らしいよ)。それを考えればその教育も一概に悪いものとは言えない。

 

ただ、協調心ゼロだった幼少時代。保育園〜小学校低学年まで好き勝手にやって散々先生に怒られてきた筆者としたら。それを叱ることも殴ることもせずに暖かく見守ってくれる、自分の個性を伸ばそうとしてくれる先生みたいな大人がいたら、僕の将来はだいぶ違うものになっていただろうなぁとも思う。

 

まぁモンテッソリ教育の現場の実態を知ってるわけじゃないので、この感傷も単なる夢物語に過ぎないのかも知れないけども。