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3月前後に復帰予定

宗教の話は色々と難しい。

 の解説

阿弥陀仏に帰依する意。浄土宗で、阿弥陀仏の救済を願って唱える語。六字の名号。

 

出典:南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の意味 - goo国語辞書

 

南無阿弥陀仏とかけまして、オペラととく

その心は

どちらもがっしょう(合掌・合唱)してるでしょう

 

結局、自分にできることなんて、たかが知れてるんだ。

 

努力も才能の一つだと賢い人が言ってたけど、仮にそれが真実だとしたら、僕は悲しいかな努力の才能がない。全く持ってない。

というか、成功する人種というのは努力を努力と思わない奴が多数派だ。勉強を苦痛と思わない人間が良い大学へ行くし、サッカーの練習が辛いと思っていたら三浦知良が50過ぎて現役を続けていられるハズがない。

 

人間関係や仕事そのものとの相性。それらの折り合いが悪くて色々と職を変えてきました。

 

どこかに天職と呼べるものがあるともがいて来ましたが、30歳を境にすべて諦めた。

 

自分探しの旅をしても自分が見つからないのと一緒。いつまでも青い鳥を探し続けても仕方がない。

ここから先の人生は運を天に任せてみよう。例えばサイコロで偶数が出ればA。奇数ならばBという具合に。外食のメニューから将来に関わる重大事項まで、多くの決断をクジで決めるようになった。どうせ深刻に悩んだところで、上手くいくときは上手くいくし、駄目なときは駄目。

 

半ば自棄っぱち精神で、人生を半分捨てたような行動だったが、案外そういう時のほうが天の神様は助けてくれるもので。縁あって、ある会社に拾われて。辛いこともたくさんあったけど、割とトントン拍子にステップアップして。やがては個人事業主として独立して今に至る。

 

一人社長なわけだけど、俺という名のこの社長。色々とだらしないし何事に対しても結構いい加減。ただひたすら運だけに恵まれて、コロナで逆境下にあるなか、何とかのほほんと過ごしていけている。

 

「運ぶ」と書いて「運」と読む。あくまで僕の持論だけど、運ってやつは掴み取るものではなく、きっと運ばれてくるものなんだと思う。

 

一人乗りボートに乗ってる自分を想像してごらん。当たり前だけど、初心者がボートを動かそうと無闇に動き回っていたらすぐ転覆してしまう。沈みたくなかったら大人しく座って、水の流れに身を任せたらいい。進むべき進路が見えているなら、恐る恐る自分で漕いでみるのもいいでしょう。嵐や波が激しいなら乗らない勇気も必要。いずれにしても、慣れない水面ではジタバタしないことが肝要。

 

多分、南無阿弥陀仏阿弥陀様も駄目なやつほど可愛いと思ってるんだ。彼(彼女?)のまえでは大人しく身を委ねたらいいと思う。自分で努力しないと道が切り開けない!が真理なら、今までチャランポランに生きてきた俺はとっくに餓えて死んでないとおかしいのだから。

 

ここは大人しく、神様仏様、私は人生八方塞がりになって困っているので助けてください。とお祈りしたらいい。全てにおいて運を天に任せるという行為も地味に勇気のいることだよ。