残った残った。
のこ・す【残す/▽遺す】
[動サ五(四)]
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1 あとにとどめておく。残るようにする。「放課後まで生徒を―・す」「メモを―・して帰る」
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2 もとのままにしておく。「昔の面影を―・す」「武蔵野の自然を―・す地区」
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3 全体のうちの一部などに手をつけないでおく。「食べきれずに―・す」「電車賃だけは―・す」
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4 消さないでそのままにしておく。「証拠を―・す」「誤解を―・す」
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5 後世に伝える。死後にとどめる。「偉大な足跡を―・す」「名を―・す」
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6 ためこむ。「小金 (こがね) を―・す」
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7 相撲で、相手の攻めに対して踏みこらえる。「土俵際で―・す」
残すとかけまして、今これを見てるあなたととく
そのこころは
どちらも、そのままでいいでしょう
昔から”残す”という行為が苦手。
例えば食べ物を残すのは嫌いだし、貯金という意味での残す行為も苦手。写真に残すのも好きじゃなければ、後世に自分の名を残したいと思ったこともない。というか、生きた証を残したいと思ったことがない。
そのくせ刹那に生きることも楽しむことが出来ない。それが最近の悩みかしら?
お金においても貯金ができないことが問題というわけでなく、使った分だけ懐に入ってこないことが課題。一方的に出ていくだけ。
要は循環ってことですよ。水と同じ。池みたいにとどまっていると腐ってしまう。そういう意味では貯金も嫌いだけど寄付も嫌い。だって一方通行だもの。
いつまでも流されていたい。過去も未来も考えたくない。常に今のことだけ考えてたい。1秒1秒、人としてアップデートしていたい。
そういう意味では、いつまでも同じ感性で居続けるのも我慢できない。
ブログや他のSNSにおいて、一貫性があって言ってることがブレない方が良いのも分かる。ひと月前の記事と、言ってることが矛盾してたら人として信用できないから。ただし、何年もずっと同じ内容を言い続けてるなら、それは立派な信念に見えて実は成長してないだけでは?
知見を広げて、今まで持っていなかった視点を得て。其の結果、例えば半年前と正反対の内容の記事になってしまったとしたら。それはきっと成長かも知れないし、新しい感性を得た事になるのかもしれない。
とは言え、自己保身のためだけに、昔とブレた記事を投稿することだけは避けたいとは思っている。