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本か鳥

の解説

和歌・連歌などで、古歌の語句・趣向などを取り入れて作歌すること。新古今時代に盛んに行われた。藤原定家が「苦しくも降り来る雨か三輪 (みわ) の崎狭野 (さの) の渡りに家もあらなくに」〈・二六五〉を本歌として「駒とめて袖うちはらふかげもなしさののわたりの雪の夕暮れ」〈新古今・冬〉と詠んだ類。

 

出典:本歌取り(ほんかどり)の意味 - goo国語辞書

 

本歌取りとかけまして、犬に噛まれるととく

そのこころは

どちらもパクリには気をつけましょう

 

ギャグ漫画で他作品の一場面をパロディーして読者を笑わせる手法がありますが。ニュアンスとしてはそれに近いのでしょうか?和歌の場合はパロディで笑わせる意図はさすがに無いのでしょうけど。

 

一方でJポップや歌謡曲

辞書のような本歌取りのような手法を取っている歌というのは、ほとんど聞いたことがない。キャロルやミスチルに憧れてるバンドが、楽曲もそれ系になってしまう。という事は有り得ても、歌詞に限定するとその手法は禁じ手となってる印象がある。

 

JASRACを始めとした著作権協会の目が厳しいのもあるでしょう。そして聴いてる一般人側もパクリにはかなり敏感になっている節がある。

 

ただ、歌謡曲の女王が”ああ〜川の水が流れてるイメージに近い、それのように〜”と歌ってる名曲。あるいは月9の東京ラブストーリーで聴いたような”あの日あの時間にあそこの場所なんかで女性に会わないとしたら〜”の名曲など。(歌詞の内容はJASRAC怖いから敢えて微妙に変えてます。察して)

明らかに誰もが聴いた事があって、誰もが知ってる歌手のそれなら、多少は拝借しても良さそうなものだと思うのですけどね。聴いてる側が美空ひばりリスペクトだな〜と感じる範囲内なら、それこそ本歌取りの手法を使えば表現に幅が出来きて面白い歌が出来そうな気もしますけどね。

 

その降り幅をどう定義づけるか。パクリとパクリじゃない境目をどう判断するか。その仕事を行うのは限りなく面倒臭いから、おそらくJASRACは許してくれないのでしょうね。これだから天下り団体はや〜ね。