日常会話で使われるところをほとんど見ない単語
かげ‐ぼうし〔‐ボフシ〕【影法師】
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光が当たって、障子や地上などに映る人の影。
影法師とかけまして、ストーカーととく
そのこころは
どこまでもついて離れない存在でしょう
このブログで何度も語っているけど、深夜の散歩が趣味。
自然公園を歩きながら月光を浴びて、地面に写る影法師を時々ぼんやりと眺める。
田舎なので自分とその影法師以外、そこには誰もいない。こういう孤独感がたまらなく好き。人付き合いに疲れた日は特にそう。ひとり歩き回ることで思考の整理ができるし、一日の心身の疲労を浄化してる感じがある。稀におまわりさんから職質受けるのがたまに傷だけど。
毎日のように影法師を見てると、その日の自分のコンディションがある程度分かるようになった。とりあえず疲れていると猫背になりやすい。気分的に落ち込んでいるときも同様。それを確認したらシャキっと背を伸ばして歩く。
姿勢と精神状態が連動するのは本当で、気分が優れないときこそ背筋をまっすぐにした方がいい。それで気分が良くなるまではいかないけど、少なくともそれ以上に落ち込むことはなくなる。部屋に閉じこもっていると、こうはいかないからね。
影は自分を客観視するのに優れていると言える。
客観視したいなら鏡をつかえばいいじゃない?という意見もあると思うけど、鏡は自分にとっては色々と詳細に見えすぎる。
何でもかんでも見えればいいというものじゃなく、そういうのは木を見て森を見ずの状態を招きやすい。ぼんやりと全体像を眺めることが出来たらそれで十分なのだ。
と、それっぽいことを語ってみたけど、本当は自分のブサイク顔をいちいち再確認するのが嫌なだけ。別に他人からナルシストと思われてもいいから、ガンガンに鏡を使ったほうが自分を磨けるから良いと思う。
僕は影法師で十分です。