辞書と暮らせば(休業中)

3月前後に復帰予定

2つ目の意味に悪意を感じる。

 の解説
  1.  成績・品行とも特にすぐれている学生や生徒。

  1.  言動にそつがないが、個性がなくおもしろみに欠ける人。

 

出典:優等生(ゆうとうせい)の意味 - goo国語辞書

 

優等生とかけまして、西郷隆盛ととく

そのこころは

どちらもじょうい(上位・攘夷)を狙っているでしょう

 

昔から優等生に憧れを抱いていた。天才とかそういう存在ね。

 

少しでもそれに近づけるように記憶術だの速読術だのあやしい自己啓発セミナーだの通ってきたが、増えていくのは借金とコンプレックスばかりなり。

進撃の巨人のセリフを借りれば、"なんの成果も挙げられませんでした!”

そんなしくじりばかりの10代・20代でした。

 

成功への近道は、己の凡才ぶりにいかに早く気づけるか。

 

凡才と思わなくても良いかもしれないけど、客観的に己を見つめる力。そしてそれを認める勇気。それが圧倒的に不足してたように思う。しょぼい自分を認めたくない。そんな自分を絶対許さない。だから現実から目をそらしてしまう。

 

劣等感が強いくせに、本当の俺はもっとすごいのだと思う謎の自信・プライド。

漫画とかでもよく見る典型的な”俺はまだ本気を出してないだけ”タイプのダメ人間だったように思う。努力が嫌いなくせに理想だけはムダに高い。みたいな。

 

今にして思うと、自己肯定感が圧倒的に低かったのでしょう。今の自分が嫌いでしょうがないからこそ、理想像ばかり追いかけてしまう。自分が嫌い故に現状の自分、それを取り巻く環境を決して見ようとしないし認めない。

 

30になってようやく目が覚めた感じかな?理想と現実のギャップに苦しめられ、死んでしまおうかと思うくらい徹底的に自分自身を罵って。自己否定の果てにようやく諦めがついた。という形で自分を客観的に見れるようになりました。

 

凡人でいいじゃない。ダメ人間でもいいじゃない。たとえ何歳からだろうと、爺になってからだろうと、しょぼい自分からスタートしよう。そこから何十年かかってでも這い上がろう。

 

這い上がろうと言ってる時点で、未だに”俺はまだ本気を出してない”型のプライドから抜け出せていない気がするけれど。ただ、優等生に対する劣等感はだいぶ薄れていると思う。

 

他人なんかどうでもいいのだ。俺は俺だ。地球上に70億人いようとも、最終的に自分を認められるのは自分しかいないのだ。世間が認めなくても良い。あんたがあんたを認めさえすればそれでいい。そこのプライドだけは捨てるもんじゃない。